学校での体罰やいじめ問題などについては関心があり,まつわる裁判例などを分析して,学校の教職員向けに講演などを行ったりもしていたのだが,学校の先生が児童・生徒に対してセクハラ(セクシャルハラスメント)をするなんて正直なところ考えもしなかった(昔,児童・生徒だったときのことを考えると,それっぽい教員がいたような気もしないでもないが…)。

同書でも述べられているが,「まさか,学校の先生が…」という漠然とした信頼感があるのだと思う。
そして,一般社会に生きる者としては,「まさか,子供に対して…」という感覚もあるのだろう。

同書でもしきりに述べられるのは,学校が,権力者である先生と,これに従う児童・生徒という極端なプレイヤーによって構成されている「社会」であるということ。学校において,先生は,生徒の成績を決定するなど,生徒が逆らいにくい者であるし,将来に対しても重要な影響を及ぼす者であるため,「自制」が必要なのだという。

弁護士業を営むに際し,私が心がけているのは,依頼者に対して十分な説明をして,十分な理解を前提に決断をしてもらうこと。そのためには,依頼者が現在置かれている状況を説明するのに時間が必要だし,正直な話「じれったい」と思うことも多々ある。
しかし,人が自己決定する前提を奪ってはいけないのだろう。自分が教え,導いていると見せかけて,その実自分の望む方向に誘導しているなんて,それこそ思い上がりも甚だしい。

学校におけるセクシャルハラスメントという現象だけではなく,児童・生徒という未成熟で,そもそもの自己決定を行う能力を有しない者への接し方を考えるという意味でも良著。



スクールセクハラ [ 池谷孝司 ]

スクールセクハラ [ 池谷孝司 ]